喜多島 真由美のBLOG

8歳からダイエッター。最高記録は半年40kg減。6年後リバウンド。大病の発症を期に心も体もリバウンドしない今ここすっきりした認識を創ることから人生最後のダイエットを開始。欲求、インプットとアウトプット、細胞とはなんなのなど日常の徒然からのメッセージを発信します

全盲の大学教授との出会い。

2歳から全盲の大学教授とお話ししてきました。

 

教授の第一声。

 

『眼が見えないっていうと、眼が見える人は

ずっと暗闇なんでしょ?っていうだけど、

暗闇っていう概念が私にはないんですよ。ハハハー』

 

なんてトークからスタートしました。

 

暗闇はね、

ここからここまでこうだっていうことでしょ?!

わたしはねここからここまで暗いとか明るいとかそういう概念は持ち合わせてないんだよね~ハハハハ。

 

な、なるほど。。

 

たしかに。

そしてわたしも眼をとじ

なるべく彼が話す世界と同じように感じてみようと試み

トークはスタートしていきました。

 

わたしが教授に聞きたかった点は

いろいろありますが、

ひとえに

視覚から取る情報がない、

というのはどういう感覚なのか?

どういう世界観なのか?

に尽きる。

 

故に、その点を聞いてみた。

 

そして、

たとえば色彩はこんな風にとらえてる

顔というのはこんな風にとらえてる

という

彼のイメージをたくさん聞かせていただいた。

 

こんなおもしろい話をしてくれた。

 

彼は美術館へ眼の見える人と行き、

眼の見える人が語る

『この絵のイメージ、この絵の色彩』

をイメージして楽しむのだそう。

新しいイメージを生成してるとも言えるだろうか。

 

また、

あるときは

眼の見える人2人と美術館へ行き

1人が

『この絵はこんなイメージですよ』

と言うのに対し、

もう1人が

『いやいや、それは違う。

この絵はこんなイメージですよ!』

 

なんてことが起こるんだそうな(笑)

 

教授は

2人の会話を聞いて

2人の宇宙を行ったり来たりして

それがいたく楽しいんですよ~!

なんて話してました。

 

2人の違う視点、違う観点を

こんなに楽しめるのも

もともと絵とはこうだ、

色彩とはこうだ

という決めつけがないところから楽しんでいるからなんでしょう。

そもそも全盲で趣味が美術館なんて

凡人にはイメージ不可能で(笑)

 

実際に

教授に

『眼が見えるようになりたいと思うことはありますか?』

と訪ねると

『えーー、いいよー!

もうこの世界で生きてきてこんなおじさんになって今更見えるようになりました、世界が変わりましたってなんかめんどくさいじゃないですかー(笑)』

とおっしゃり。

 

その後にこうつぶやいたのです。

 

『だってね、眼が見える人は不自由そうなんですよ』

 

ええ~

(゚Д゚)

なんでですか?と訪ねると

 

『眼が見える人はね、銅像でもなんでも

せっかく触って触感を楽んだりできるのに

触らないんですよ。

あー冷たくては気持ちいい~とかボコボコしてるのも千差万別なのに。

においもそんなにかがないんですよ。

これはこんなもんでしょ

って決めつけてるんでしょうね。

なんかもったいないですよねー。

もっと楽しめばいいのに!不自由ですよね~(笑)』

 

だそうな。

 

確かに。。

眼で見えたら過去の記憶と繋げて

これはこう、と瞬時に決めつけて以上終了してしまう脳の機能ありますね、、、。

 

視覚から得る情報で人間は80%の情報を決めつけるといいますしね。。

 

それで、教授と話しまして。気づいたのですが。。

 

正直にいいますと

大変申し訳ないとは思うのですが、、、、

無意識にですが

 

眼が見えない=障がい=生きる上でマイナスだったり生きにくい人

 

ということを決めつけている自分の観点に気づきました。

 

しかし、

教授からすると

眼が見える人は決めつけから自由になれない不自由な人たち

に見える、、、(笑)

 

お互い不自由な人と思っている(笑)

 

なんて滑稽なわたしたち、、、(笑)

 

そして、思いました。

 

あー、眼が見えること

眼が見えないこと。

 

この違いはお互いを楽しむためにあるものなんだ、と。

 

眼が見えるから幸せとか見えないと大変とか

眼が見えることがいいとか悪いとか

そんな次元の出会いを人類はしたいわけじゃないだろう。と。

 

そう思いました。

 

目から鱗

 

わたしはこの教授の観てる世界を思いっきり感じたいと思ったし、

教授は眼が見える人が観てるイメージを知りたくて美術館へいくし

眼が見えない人と見える人は

一緒にいればたくさんのあたらしいイメージを産み出して楽しむことができるでしょう。

 

お互いを最大限活用し合うってこと。

 

そして、

物質の眼が開いていようが、閉じていようが

心の眼がお互いを観ている。

 

そしてお互いを楽しみ合っている。

 

教授とはなした日は

今まで感じたことのないワクワクを感じた日でもありました💖

 

これから

ダイバーシティー×インクルージョン

 

違いを楽しみ合う人類、わたしたち。

ますます加速して融合して楽しむ世界

になっていくししていきたい。

 

こんな想いはどうでしょう?

共鳴してくれるあなたに出会えることを楽しみにしながら。。💕

 

寝まーーーす🎶💤

 

本日も最後までお読みいただきありがとうざいました✨

 

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お花かわゆし。。💕かわゆしおはな。💕

 

 

PS

教授と話してたとき

相手がわたしの視覚情報を捉えてないということはいかに気楽なのかにも気づかされた。

教授からすると変顔してようが鼻ほじってようがわたしという存在の情報になんの変化も起きないのである。

気楽、、、(笑)

いかに眼で観られることを意識してるのかと思いましたよ。ええ。(^^;)