ITでできないことはないという絶望感。
昨日とあるIT系のイベントに参加させてもらいました。
イベントの趣旨は
どんな課題もITで解決します、できます
を発展させていくアイデアソン。
商業施設をベースに
出てきたテーマに別れて今ある技術、これから発展していく技術を駆使してつくってみようというもので
私のチームは『程良く気持ちいい未来の公園』というテーマで創った。
話し合っていくうちに
個人の程よい気持ちよさと望みは
ほとんどの場合VRで再現可能だね、という結論に落ち着く。
雨に濡れない公園を考えたときに
雨が降ったら勝手に濡れないバリアが貼られる(air傘?)
のか
VRで雨が降っているけど濡れてないという情報を脳にインプットするのか
の違いを議論するだけとなり
あー、個人の望みはVRで事足りることがわかった。
そこで、
VRで個人の望みも叶えられつつ
個人が集まったライブ感のわくわくも掛け合わせてみようという話になった。
1人1人の個人は仮想現実を楽しんでいるのだけど
人とも同じ空間を共有してるライブ感はどう創り出すのか。
10人同じ空間で個人の欲求を充たしながら
ある程度何かを共有している
(たとえばテクスチャーで雪景色、日本中のどこかのおまつりなどの体験だけは共有している)
目線や感情認識を駆使して
人々の8割がほしいと思う景色や体感が次々に変化していく。
という個人×みんなでライブ感
今ある技術だけでもやろうと思えばやれる。
そんなことを 話し合っていたら
アルゴリズム化できるものは
どんどんデータ化され
再現可能、認識可能、活用可能になっていくことがわかり
(たとえば、感情も皮膚の温度、目線の動き、表情、顔色などでアルゴリズム化しデータ化、解析化可能)
なにを充たすことを目的として未来の公園を創っているのか
途中で難航した。
そこに1人が熱く斬り込んだ。
『僕たちはあえてアナログの体験は捨てない!』
人間は
もうIT技術で
すべてが情報でしかないということを可視化できるようになってしまっている
のどかな雰囲気、というものさえラスベリーパイで検知して解析可能になっている
ならば、
今は
何を(identity)
どうするのか(問題発見)
を常にセットで決めて創っていく時代なんだと
その1人の発言で感じた。
人間の5感覚のアナログはこうだと決めて(identity)
なにを体験させる(問題発見)
ITやVRがなかった今までとは比べもなのにならないくらい
identityをどう設定するかによって
すべての計画が変わっていくものだと再認識するよいきっかけになりました。
人生のストーリーテーリングは続きますね。
とりあえず感じたことをメモしておきます。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました(*^O^*)/
屋上で寝っ転がってる著者近影。。
風が気持ちいい季節です。