喜多島 真由美のBLOG

8歳からダイエッター。最高記録は半年40kg減。6年後リバウンド。大病の発症を期に心も体もリバウンドしない今ここすっきりした認識を創ることから人生最後のダイエットを開始。欲求、インプットとアウトプット、細胞とはなんなのなど日常の徒然からのメッセージを発信します

自分をマイニングする

どんな人であっても必ず無意識に問いを持って生きているものです。

 

なぜならば、

なぜ○○なの?

どうすれば○○なの?

という

問い(question)

を持つから

答え(answer)を探して生きるわけです。

 

『幸せになるためにはどうすればいいの?』

『お金をもっと稼ぐには?』

『自由になるには?』

『そもそも生きるとはなに?』

『人間とは何のために生きるの?』

 

などなど人の数だけquestionはあると思います。

 

わたしは人生で長い間、究極の奥底に秘めた質問がありました。

それは

『わたしにあと足りないものはなに?』

でした。

 

これはずっと幼い頃に母親や周囲の大人に愛されたい、認められたいという思いの中に決めつけた自分像からきている質問で

無意識にあったものなので、

はっきり言語化して理解できたのは3年ほど前の38歳の頃でした。

 

この質問に気づいたとき、

この問いがわたしの人生のすべてを動かしていたんだと理解し納得しました。

 

とてつもなく爽快な気持ちになったことを覚えています笑

 

いくら人に賞賛されることを成し遂げても

自分が目標にしていたことを達成しても

どんなに努力を重ねても

わたしは自分に

『よし、おっけい!がんばったね。よかったね(*^O^*)』

と言えることができなかったのです。

 

それがなぜなのかさっぱりわからず

常に不足感だけが残り

人になにを言われても満足することはなく

もっと自分を高めるには?

もっと満足をえるには?

もっともっと

と、

次々とやらなければならない、動かなければならないと思うことばかりが思い浮かんでくるのでした。

 

その原因がわかりませんでした。

そもそも、

どういう思考回路で自分がいつも不足感を抱きその自分の厳しい追い込みに笑

答えようとしてるのか

なにがなんだかよくわからないけど

とにかく前に進まないと行けない焦りと焦燥感で動き続けていました。

 

 

そんな中で

わたしが出会った意識も無意識も疎通させる

ntechという技術。

その技術を活用しだした折、

気づいたのです。

 

『わたしにあと何が足りないの?』

 

いつもいつも

わたしに動け、動け、止まるな

と追い込みをかけてきていた根源を!笑

 

わたしたち人間は

質問をみると答えたくなってしまうと思いませんか?

あなたの心にもきっと質問が在ると思います。

その質問の答えを探すように人生を創っている気がしませんか?

 

 

わたしにあと何が足りないの?

という質問を持ち続ける限り、永遠に前進中毒が止まらない、と気づいた私は

この質問とは決別することにしました。

 

そして、

今では人生における問いを持っても持たなくてもいい状態になりました。

それは

質問がきたら答えようとする

(おいしそうなものをみたら食べたくなる)

(イケメンをみたら興味が出る笑)

(美人を見たら声をかけたくなる)

 

無意識で繰り返す

思考、感情、行動の機械的に反復運動するパターンから自由になったことととも言えます。

 

 

私は人に出会うと心の奥底にどんな質問を持って生きてる人なのか?

に興味が出るようになりました。

自分を突き動かす根源。

それと出会うことは人生の自由度を飛躍的に広く深くするものです。

 

自分というものは自分で思ってるより奥深く、

発掘すればするほどおもしろくなるものだと思っています。

 

すべての可能性は自分をマイニングしていくことの中にあります。

 

自分とはなんなの?ともっと知りたいかたのお手伝いをしたいと思っています。

このブログにたどりついたあなたには

もっともっと自由に人生をつくっていってほしいと無限大心から願っています。

 

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。(*^O^*)/

 


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ギラギラの太陽さま。先日の昼下がりのこと。

 

 

 

 

 

 

宇宙と自然について

ntechの3日間のセミナーを受講してきました。

 

ntechと出会って4年くらい。

 

ntechという技術はほんとうにシャープで

誰もが人生をバージョンアップさせることができる良いものだと、今回は改めてうれしくなりました😊

 

わたしがntechに価値があるポイントだと思っているひとつは、

人生におけるあらゆる危機やピンチ、問題を100%反転させてチャンスに変えてしまうことが自らできるようになる、

そして誰でも必ず再現性がある、というところです。

 

『誰でも必ず再現性あり』

わたしが技術と呼んでる所以です。

 

美容院に行って、そのときはすてきなヘアスタイルになったけど、

自宅に戻り日常を過ごすとき

そのすてきなヘアスタイルを再現できない

だったらわたしはその美容室には次に行きたいと思えません。

美容師さんが創ってくれたすてきなヘアスタイルを毎日再現可能にしてくれる美容院、スタイリストさんに私はついていきますよ笑

 

再現性あるかないかのポイントは重要視してます👐

 

 

 

ともだちと5人で受けたのも新鮮でした✨

とにかくいろいろと気づきがあり充実した3日間でした。


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※下半身が殿みたいって言われましたけどスカートですっ😤

 

受講しながら

新しくこんなふうに未来つくってこうと決めたことがいくつかありますが、

その中のひとつは英語をマスターする!(*^O^*)

 

今ネイティブなのは日本語と津軽弁だけなので。

 

なるべく世界の多くの人と疎通しやすい言語を増やしたい気持ちになり

何年も学校で学んだけどいっこうに身についてない英語を2020年くらいまでには使いこなせるように勉強しようと思いました😊

 

他にもいくつか決めたことがありますが、

また追々ブログに公開して行きまーす。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました(*^O^*)/

 

 


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ポテトチップでくちばしを作ったけど全然できてなかったけど。。みんなステキ。いい写真✨

 

 

PS

英語をマスターするにはまずなにが必要でしょう?

知ってる方、教えてくれる方求めてます。

ちなみに暗記苦手です。笑

ブログ筋を鍛える

先日は、ブログ歴23年にてプロブロガーとして

自分のやりたいことを実現化させていった方のお話を聞く機会があった。

 

そして、わたしもブログにはそこはかとない価値をずっと感じているにも関わらず

長期で更新ができなくなったりポツポツ書いたり

 

ということを

もうかれこれと12年くらいはやっているだろうか。

しかしいっこうにブログが定まる気配がなく

最初はといえば魔法のiランドなどで記事を書き始め、アメブロで書いてみたり、ハテナで書いてみたり、ラインブログで書いてみたりと

この12年のらりくらりと書いている。

 

その時々、ブログだけに留まらず、SNSも含めてネット空間で発信したことによる出会いはたくさんあったように思う。

 

それが仕事になっていくこともしばしばあった。

しかし、

自分としては、なんだか本当の意味でのネット内で発言することやブログを書くことの楽しみの本質には到達していないように思う。

 

そこで

題して『ブログ筋活性化プロジェクト』

を立ち上げることにした。

 

このプロジェクトは

ブログ筋

初級:ガリガリ

中級:中肉中背

上級:マッスル

 

とマッスルに到達するためのプロジェクトであり、今現在、ブログ筋ガリガリのわたしがマッスルになるまで続けようと思う。

 

それをふまえた上で。

 

昨日のことである。

 

わたしはグットモーニングショーという映画を観ていた。


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その前日には三谷幸喜監督のラヂオの時間という映画も観た。


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◎グッドモーニングショーのほうは

視聴者が観たいものを作るテレビマン達の翻弄を描くストーリー

ラヂオの時間

作りたいものを作れるわけではないけど

いろんな人間模様を越えて作品を作るという制作者たちのストーリー

 

 

ここで想ったことはたくさんあるが

作る側(制作サイド、アーティストなど)と

観る側(視聴者、ファンなど)

 

相対的な2つの立場があって

それぞれを往き来しながら、双方向にみてみることにする。

 

やりたいことをやるのか

やってほしいと望まれていることをやるのか

どちらを優先するのか?

ということで制作者側はだいたい葛藤するのだろう。

 

より自分の観たいもの味わいたい感情を

味わわせてくれる、感じさせてくれるものを見せてくれるのはどのテレビだ?どの人だ?

と受信する側になったものたちは思うでしょう。

 

この一致を起こしたいのが

エンタメであり文化なのか、とも思いますが。

 

ここで気づくことは、

人間は人や音楽やドラマや映画を観て

楽しんでいると思っているが

実は『情報』と出会っているということだ。

 

この人が好き(ときめきという感情付き)

であったり

この物語なける!(感動という感情付き)

であったり

 

それは自分がどんなことに心が動くのか

または動かないのかということをその対象を通して知っていってることにつながる。

 

自分の好みや嫌いな『情報』と出会っているということだろう。

もっというとその、自分の価値観に気づく行為であるから

『自分』と出会っていってるとも言える。

 

たびたびあるのは

作る側は感情を動かしたいと望んでいるし

受け取る側も心を動かしたい、または麻痺させたいなどと望んでいる。

 

制作側と視聴者側をこのように観察していると

『情報』『商品化』して『発信する』

ことが大事だときづく。

 

 

 

商品化することはとても重要である。

なぜならば『情報』『発信』するだけならば、

ブログでなくてもキュレーションサイトでことが足りるのである。

 

基本的に書き手も読み手も

感情が生み出されないものであるなら

教科書や論文のようなもので

それはブログと名乗る必要はないであろう。

 

ブログにおいては

情報を商品化させることが

その人それぞれの個性を発揮することにつながるのだろうと思います。

 

 

とりあえずこうしてつづっておきます。

 

 

本日も最後までお読みいただきありかとうございました(*^^*)/

 



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リハビリで人生初★電流をながすの図!

これほんとに効果あるんかな、、、笑

 

PS

やっぱり西田敏行が出てない三谷幸喜映画は

お湯が冷めたお茶漬けのような、、、

淋しさを感じるのであります、、、

ブログに登場したい男

今日も天気が最高です。

 

太陽さえあればいい!

とこの頃は毎日叫んでいるわたしです。

 

天照大神さんありがとう。



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伊勢神宮に行った際に撮影。おもしろい光しゃしん。

 

 

最近、地元青森のある友人(小学校の同級生)と連絡をよく取っています。

きっかけはわたしのブログを読んでくれていて、

『俺ガンになったー!』

とまぁとてつもなくあっけらかんと電話してきたことでした。

 

なんだかいつも満身創痍な記事を書いているからかな、、、

 

なぜガンになってわたしに連絡してこようと思ったのかは謎ですが

(聞いてみたけど本人もよくわかんない、とのこと)

とにかく彼は今、大腸ガンや乳ガンなどと

メジャーどころではなくとても珍しい

希少ガンと診断されているようです。

 

今まで年に数回、

電話で話すだけの仲でしたが

これからはもすこし交流が多くなりそうです。

 

とにかく

わたしのブログに登場したいと彼がのたまわるので、笑

まずはそんな存在と今出会っているよ、ということを記しておきたいと思います。

 

 

to be continued(*^^*)/

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。

 


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加工してないけどお肌がつるつるに写っててるんるんの著者です。やはり太陽さまはいい仕事しますね。昨日のことです、、、。

何度でも泣けるほど愛している

ここ最近この曲に心が惹きつけられてたまりません。

 

LUNA SEA MARIA (中日字幕) - YouTube


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LUNASEAは中学2年のとき

同級生に勧められて知り、その時はインディーズのバンドで知る人ぞ知る存在でした。

青森の片田舎の中学校では

B'zやミスチルなんかが人気がありましたから
誰も知るはずもなく、、、笑

 

よく同級生(隣のクラスのるみちゃん)はわたしにこれをススメてくれたな、と今でも感謝です🙏

 

 

とにかく中学2年でLUNASEAと出会ったわたしはすぐにその音楽性や世界観に虜になりました。

 

 

思春期のわたしといえば、

生徒会の役員をやったり人前によく出ていたり、社交的を演じることは得意だったので外からはそう見えなかったかもしれないけど、

実状は、学校の友人関係は複雑でついていけないし集団生活にまったく馴染めない子でした。

 

そんなわたしが、

LUNASEAと出会い、LUNASEAを好きになり、地元のライブハウスに頻繁に行くようになり、ライブのために青森以外の地域に遠征してみたりしているうちに、

 

地域や年齢や学校などバラバラだけど

バンドが好き、ルナシーが好き、音楽が好き

っていう仲間とたっくさん出会うようになりました。

 

 

もともと、

家族は母と2人だったわたしはそもそも2人以上の集団の中での経験がなかった。

 

そのため急に規則ややるべきことをどんどん提示される、無理矢理にでも人と関わらないといけない学校という状況は苦痛そのものだったのです。

そこにきて

ルナシーをきっかけにライブに行くようになり、好きなことで人と繋がり合うこと、

人と近くなりたい、仲良くしたいと自分から求めてみることなど

自分と他人、多くの人との関わり方など10代はすべてそこで学んだような気がします。

 

 

もちろん楽しくて楽しくてたまらない青春だったとも言えます。

 

 

そこから20年以上経った今でも、

その時出会って仲良くなった何人かは相変わらず仲良しだったりもします。

 

そんな中。

先日、

入院中にルナシーのこんな動画を見ました。

LUNA SEA 「LIVE MONSTER」トークのみ - YouTube

ルナシーが活動休止、終幕、復活をどのように迎えてたのか。

今まではっきり知らなかったメンバーの中であった軋轢やそれを突破した話、

この5人の意味の再発見など興味深い話でした。

 

あらためてルナシーとの出会いを振り返り

そこでわたしが思ったこと。

綴ってみます。

 

ルナシーはこの5人で奏でる音だからこそ伝わるものがある。

ルナシーを1つの細胞としてみてみると。

個人個人の奏でる音楽もすばらしいものだけど

この5人になったときの音楽はほんとうに唯一無二で、メンバーが1人でも違ったら同じ音楽は創れない、奏でられないわけで、

1人1人の個性がとてつもなく大切であるにも関わらず5人というチームになったときに

そのバラバラな個性が爆発され包括された最高のパフォーマンスがルナシーという音楽になっている。

 

いくら聞いても飽きない

どんどん発展する。

 

バンドって本当にすばらしい!さいこー!

わたしがやりたいことは本当にここにつまってるな~💖と改めておもいました。

 

②自分たちが創る音楽でメシを食うという夢を追いかけて、その夢は実現したけど、

今度はその夢を継続していくことに苦しんだメンバーの経験がとても勇気になる。

 

スギゾーは

5人で作り上げたものを自分たちがやりたくない、やれないから終幕にする

のではなくて

後輩たち、あとに続いて音楽をやっている若い人たち

道を見せてあげる責任があるし

それが義務でもあると思う。と語っていた。

ルナシーに憧れてバンドをやり出した人たちもたくさんいるし。

 

小さいライブハウスから地道に活動を重ね、

ファンが増えていき、

小ホール、中ホール、大ホール、武道館、メジャーデビュー、世界デビューと歩いてきた道のり。

その積み重ね、プロセスの中で少しずつ景色が変わることを観てきた感謝、感動。

今の若い世代はネットがあるから急にドカーンと人気が出て急にものすごい規模の会場でワンマンしたりしてしまうから。

または急に人気が出ない以外はほとんど人目に触れられないような活動しかできない。

だから

徐々に大きくなっていく景色もあるよ、ということを見せたいし、その先もまだ続いていくよ

ということを示していく義務があるのだと。

(ここまで要約引用)

 

この、少しずつ、一歩一歩、徐々に景色が変わっていく

この感覚がおもしろい!って

登りつめた人が言ってくれることは本当にありがたいし素晴らしいなと思いました。

 

今の時代、

一発当ててどかーんと大金持ち

だとか

YouTuberになってどかーんと大人気になる

というのが主流の成功モデルのように見えがちですが。

 

どかーんとやりたいことができるようになる

こともおもしろいでしょうが、

実は、いかにプロセスを味わったのかが

人生の豊かさに繋がると思うのです。

根拠がわかる安心があるから。

 

そのちょっとずつの成功を味わってほしいという観点は本当にありがたく、

どんどん次に続く世代に夢を見せ続けてほしいと思いました。

 

そして、わたしも

○○を成し遂げること

という人生のその時々のプロジェクトを通してプロセスを味わい、楽しむ人生であろう、と

改めて思いました(*^^*)

経過こそが密の味💖

 

そんなわけで、

今日はルナシーのMARIAを聞きながら想起したことを徒然に。

 

本日もさいごまでお付き合いいただきありがとうございました✨







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311によせて。~動機~

もうすぐやってくる。

3月11日 14時46分

 

あの日から

毎年毎年

311は特別な日として認識してきた。

 

最初の3年くらいは

311が特別だということを感じないくらい

毎日に311が溶け込んでいた。

震災によって変化してしまったものへ

心が痛み、何かをしてみるも、自分は無力だ

と思いひどく混乱するばかりだった。

 

8年経過した。

 

わたしは311に何を想い、何を感じたいのだろう。

 

そう思った今朝。

 

311に対して

何かを想い、何かを感じ、何かをする

べき 

なんだと思っていることに気づいた。

 

亡くなった人たち

(小学校の恩師が若くして津波にのまれて亡くなったし。。)

避難をせざるおえなくなった人たち

生活が変わりついていけず自ら自死を選ぶ人

その後の収束の道をつくれない地球の課題

 

ひとつひとつ

心を痛めて

泣いて

自分なりの最善も尽くして

 

。。。

 

と、この7年間やってきた。

 

今朝ふとおもった。

 

『なぜ?動機は?』

 

人が死ぬのは悲しい

家族と別れるのは非情

抗えない震災にどうすれば

原発放射能の問題は、、、

 

あれこれと想いの原因は見えるけど

 

それを変化させたいと願う

『動機』がしっくりこない。

 

悲しいから

それが涙だから

変化を起こすことが必要だから

 

わかる、わかるけどー、、、、

 

なんかしっくりこない。

 

客観的な自分が問いかけてくる。

 

『自らの源泉からの動機はなんなんだ?』

 

1、どんな自分になって

2、何のために

3、何をするのか

 

今回のことだけじゃない。

 

成し遂げたい目的、目標

ビジョン。

 

どんな自分(Identity)

になって

なんのために(Motive)

何をするのか(action)

 

何のために、という動機

これは常に常に変化しながらも常に自分で認識している必要がある。

 

わたしはそれが認識しにくいということに気づいた。

 

311は道具だ。

 

311を人生の中で経たことによって

自分の中になにが起きるのか。

どう活用したのか、しているのか。

 

ただ、風化させない、

忘れないようになどと抽象的にしていたところで

わたしたち日本人の本当の意味での癒しにはならないだろう。

 

『あの出来事があったから』

人生の中で節目として活用してほしい。

 

亡くなった命やたくさんの想いや意志が

存在した意義をたった1人でもいいから受け取ってほしいと願っている。

 

あの出来事を無駄にしないでと語りかけてくる。

昇華したくて蠢いている。

 

今日もその意思たちと出会ってみようと思う。

 

 

311に寄せて。

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました(*^^*)

 


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311によって心が一番動かされた場所。

@陸前高田市

 

 

 

足るを知るを知る

退院してきて2日がすぎました。

 

まだ退院してから一歩も外には出れていませんが、

松葉杖の移動や友人にお手伝いしてもらいながら

また、Uber eatsやネットスーパーも初めて活用してみたりしてまずまず快適に過ごしております。

 

約10日ほど入院し、

ケガをしてからだいたい2週間経ちました。

 

ケガは順調に良くなっている感じがします。

 

体は痛いけど心は健やかなので

ゆっくりしている時間はこれまでを振り返ったり

今を見つめたり今後を想ったり

時間貴族な日々を送れて有り難いことです。

 

飽きないの?

なんて質問されることもありますが、

これが飽きるという感覚は全く感じないものでして、

考えようと思えば無限に考えることもできるし

呼吸に集中して瞑想しようと思えばそれも無限にできてしまう。

 

本も読めるし動画や映画も観れる。(あまりやってないけど)

 

今日はなにしよっかなー

って感じです。笑

 

身体が動かなくても心は大自由なんだなーと感じます。

 

 

 

そして、

今日はっきりわかったことがありまして。

 

今こうして休養しているのは

これを知るためなんだとわかったことがあります。

 

それは

『いかに今ここは満たされているのかということを一瞬一瞬自覚していく時間』

 

ということでした。

 

 

 

 

ああしたいこうしたい

でもああしなくてもいいこうしなくてもいい

こうもできるああもできる

すべてがゼロ地点にあり選択肢は無限に作れるなー。

 

自由すぎて逆に不自由だなあー

なんでもできすぎて決めるの大変

どのようにしても

どのようになっても

全部あり!!!

 

そんな感じがふつふつと蓄積されて

 

なーーんにも足りないものない!

今ここにはすべてがあって

有り難すぎて

うれしい~

 

と、まぁそんな終着点に落ち着くわけです。

 

 

いつも

『あと自分に足りないものはなんだろう?』と無意識に自分に質問し続けていた人生だったから。

 

『汝、足るを知れ』

と、

今回のケガのお休み期間によってそんな有象無象からの応援を受けた気がしてほっこりする午後のひとときでありました★

 

今ここしかないこと

今ここに全てがあって

それに全力で出会える奇跡は

楽しいなと思います。

 

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました(*^O^*)/

 


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入院中のおもひで。最近はなんといってもすっぴんオンリーな著者と著者のことをほとんどなんでも知ってる友人Kちゃま

 

PS

なんだかポジティブなことだけしか書いてないような印象だけど

不安や心配もいくらでも湧き出るもので

そこも含めて見つめているので

金太郎飴のように いつでもどこをどう切り取ってもいっさいの不安もしてなくて

心配も焦りもしてないわけではありません、、、、笑

客観的に観ると記事のような終着点になる

ということを記したかったわけであります。

(どんなPSだ、、、)