311によせて。~動機~
もうすぐやってくる。
3月11日 14時46分
あの日から
毎年毎年
311は特別な日として認識してきた。
最初の3年くらいは
311が特別だということを感じないくらい
毎日に311が溶け込んでいた。
震災によって変化してしまったものへ
心が痛み、何かをしてみるも、自分は無力だ
と思いひどく混乱するばかりだった。
8年経過した。
わたしは311に何を想い、何を感じたいのだろう。
そう思った今朝。
311に対して
何かを想い、何かを感じ、何かをする
べき
なんだと思っていることに気づいた。
亡くなった人たち
(小学校の恩師が若くして津波にのまれて亡くなったし。。)
避難をせざるおえなくなった人たち
生活が変わりついていけず自ら自死を選ぶ人
その後の収束の道をつくれない地球の課題
ひとつひとつ
心を痛めて
泣いて
自分なりの最善も尽くして
。。。
と、この7年間やってきた。
今朝ふとおもった。
『なぜ?動機は?』
人が死ぬのは悲しい
家族と別れるのは非情
抗えない震災にどうすれば
あれこれと想いの原因は見えるけど
それを変化させたいと願う
『動機』がしっくりこない。
悲しいから
それが涙だから
変化を起こすことが必要だから
わかる、わかるけどー、、、、
なんかしっくりこない。
客観的な自分が問いかけてくる。
『自らの源泉からの動機はなんなんだ?』
1、どんな自分になって
2、何のために
3、何をするのか
今回のことだけじゃない。
成し遂げたい目的、目標
ビジョン。
どんな自分(Identity)
になって
なんのために(Motive)
何をするのか(action)
何のために、という動機
これは常に常に変化しながらも常に自分で認識している必要がある。
わたしはそれが認識しにくいということに気づいた。
311は道具だ。
311を人生の中で経たことによって
自分の中になにが起きるのか。
どう活用したのか、しているのか。
ただ、風化させない、
忘れないようになどと抽象的にしていたところで
わたしたち日本人の本当の意味での癒しにはならないだろう。
『あの出来事があったから』
人生の中で節目として活用してほしい。
亡くなった命やたくさんの想いや意志が
存在した意義をたった1人でもいいから受け取ってほしいと願っている。
あの出来事を無駄にしないでと語りかけてくる。
昇華したくて蠢いている。
今日もその意思たちと出会ってみようと思う。
311に寄せて。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました(*^^*)
311によって心が一番動かされた場所。