喜多島 真由美のBLOG

8歳からダイエッター。最高記録は半年40kg減。6年後リバウンド。大病の発症を期に心も体もリバウンドしない今ここすっきりした認識を創ることから人生最後のダイエットを開始。欲求、インプットとアウトプット、細胞とはなんなのなど日常の徒然からのメッセージを発信します

なにもかも失うゲーム

あなたはなにかを手に入れたと思っていることはありますか?

 

たくさんあるかもしれませんね。

 

しかし、申し訳ないけども

わたしたちはそもそもなにも手にしてなどいなかった。

手にすることもないでしょう。

 

なぜならばこの世はカリソメだから。

 

 

わたしはこんな人間で

こんな夢があって

こんなパートナーに出会って

こんなふうになって

こんな思いを響かせて

こんなことを感じてみたり

こんなことを共有してみたりしたい。

 

こうしたい、ああしたい

理想や夢や使命感はつきることなく日々募ってゆく。

 

これができていないのならば

こうしてみよう、ああしてみようなどと画策し

そしてまた追加して、更新する。

 

何かを知る、何かを得ることに必死だ。

 

 

獲得していくゲーム。

獲得することに必死。

そして疲れたならば、または視点を変えてみたならば

降りていくゲーム。

何もしないということに必死。

 

いつまでたってもゲームは終わらない。

 

この世がカリソメならば、ゲームは自由自在に設定してもよい。

終わりのないゲームならば、

新しいゲームを設定してみよう。

 

こんなのはどうだろう。

 

『正気を失っていくゲーム』

 

今日はなにを失うのか選択しよう。

愛する人を失い

お金を失い

仕事を失い

仲間を失い

家を失い

身ぐるみ全てはがれてもなお

失いきれないもの

それさえ失ってみよう。

すべて失ってみよう。

身ぐるみすべてはがされたと思うまで。

 

 

最後に残ったと思うものはなんだろう。

 

もしくは

なにも残ったと思わないところまで失い切れるものだろうか。

 

私は今すべてを削ぎ落として失っていくことに夢中のようだ。

 

カリソメはカリソメであるからこそ美しい。

 

本日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 


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※著者近影。。狂気の沙汰について語り合ってたときの図笑