喜多島 真由美のBLOG

8歳からダイエッター。最高記録は半年40kg減。6年後リバウンド。大病の発症を期に心も体もリバウンドしない今ここすっきりした認識を創ることから人生最後のダイエットを開始。欲求、インプットとアウトプット、細胞とはなんなのなど日常の徒然からのメッセージを発信します

実はわたしは死んでいた話。

突然ですが、

わたしの認識では今わたしは生きていると思っていないのです。

 

生きていると思いたくなるとき

死ぬのが怖くなる。

 

そのことに気づいた。

 

そのときわたしの無意識の大前提は

『生きているわたし』

だということにも気づいた。

 

わたしの体や、喜多島真由美という名前がついた存在は

『生きている』

だったのだ。

 

そして、なにが起きたかというと

 

『死ぬかもしれない』

 

と恐怖を抱き

 

『生きている』

ことがままならないような病の数々だった。

 

精神でいうなら

摂食障害になり、鬱になり、パニック障害になり、暇さえあれば自死念慮に駆られる状態になった。

 

体でいうなら

肺炎、腹膜炎などになり何度か入院を経験した。

挙げ句は2016年末のうっ血性心不全ICUに入り危篤。

その経験は強烈だった。

その後は、

2018年6月に子宮に腫瘍が見つかり、

子宮体ガンの疑いとなった。

 

そして、今日

9月3日。

 

東京の某大学病院内のカフェにてこれを書いている。

 

見つかった腫瘍は消え去り、

さらに念押しで細胞を切り取り検査した結果、

子宮体ガンの可能性は限りなくゼロであり

問題はなくなっていた。

 

そしてついにわたしはひとつの結論を見つけた。

 

『病気は味方だ。』

 

 

 

病になる、

その時々、

わたしは体の病を使って

わたしが何者で、なぜ今呼吸していて

5感覚を使ってこの体で

この世、この時代を観て感じて発信しているのかを知っていっているようだ。

 

これは、スピリチュアル的な科学的に根拠がないあいまいなものではない。

 

特別な能力がある人がわかる、感じる

そんなあいまいな世界の話ではない。

 

むしろわたしはとことんスピリチュアル的な世界を学んでみた時期があり、

曖昧な話にはもうすっかり絶望させられているからもうそんなものに興味はないのだ。

 

わたしは宇宙の特異点を生み出す源泉である

絶対世界(5次元)と

相対世界(4次元、3次元)の関係性を論理とイメージで理解した。

(これはntechという認識技術。)

 

そして、

その論理とイメージが真実であるとするならば

わたしたちは無限の可能性であり、

むしろ無限の可能性しかないのである。

 

そしてわたしは望んだ。

 

この5感覚の目で観ている世界はマトリックスであり

 

自分は無限の可能性である、わたしたちは無限の可能性であることを

しっかりと確信し

そして楽しみたい、と。

 

そのために

わたしの無意識は病を活用しているようだ。

 

生きていると無意識深くから思いこんでいるわたしは

死ぬかもしれないという限界に出会うために病気になる。

 

そして、

生きるとはなんなのか

死ぬとはなんなのか

 

その質問にとことん向き合うことになる。

 

 

絶対世界と相対世界の関係性を

論理とイメージでしっかりわかってもなお訪れる

恐怖や猜疑心や不信、不安

あらゆるイメージ、感情、思考を

オールクリアできるのか。

 

そして枠のない自由な心で

なんにでもなれるなんでもできる

可能性そのものに

本当になれるのだろうか。

 

生きたまま死ぬ

ということが本当にできるのだろうか。

わたしにわかるのだろうか。

 

そして、

わたしは今確信を持った。

『わたしもあなたも本当に無限の可能性ですか?』と質問されたならば

胸を張って

『そうだ』と答える。

 

すべての答えは自分の中にある。

 

『生きている』わたしから

スタートすれば、

『死にゆく』わたしのストーリーになる。

 

 

わたしが悟り知ったことは

今わたしは死んでいる。ということだ。

目の前に何かが出現して

自分の意識と無意識が

びっくりしたり

きれいだと感じたり

むかついたり

おもしろかったり

動いたとき

わたしは生きるのだ。

 

その瞬間だけ生きているんだ。と。

 

 

わたしたちの時間の流れは

生きている➡死ぬ

だけではない。

 

生きているともいえるし

死んでいるともいえる。

生きても死んでもないときもある。

生きながら死んでいる

死んでいながら生きているともいえる。

そんな時間の流れがある。

(ややこしい、、?笑)

 

生きながら死ぬ知恵とはよくいったもので、

お釈迦様が言いたかったことが

わたしもわかるようになった笑

 

今までの人間をバージョンアップさせて

生きながら死ぬストーリーをスタートさせるならば、

今ここの出会いを全力で楽しめるようだ。

 

過去と未来のない

今ここしかない。

 

これまでの私は、私たちは、

過去に後悔し、未来に不安し

今ここをなおざりにしすぎていた様だ。

 

新しい時間の使い方。

新しい空間の味わい方。

新しい存在との出会い方。

 

新しいストーリーの創り方に気づかせてくれた

わたしの病のストーリーの数々だった。

 

それはわたしのスピリチュアルペインが願って願って止まなかった

真に手にしたいストーリーの創り方であったことに

わたしは今日気づきました。

 

うれしいーーーーー!

 

今日はここまで😊

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 


f:id:teammyo:20180903125935j:image

※今時カメラを向けられたら笑顔するのは古いよ、といわれてじゃあどーいう顔したらいんだろなー、、、、と迷っているところ笑